2012年5月に父は死んだ。

2011年の3月11日は入院していたと思う。

高校3年生だった僕は、
学校にも家にも行き場のない思いで、
その時は音楽にのめりこんでいて。

バンド練習終わりに、
いつも寄っていた楽器屋さんのテレビで映画をやっているなと思った。

でも様子がおかしい。

母からのメール。

「電車止まってるみたいだけど、
いまどこにいるの?」

宮崎市から地元宮崎はまさに海から山に向かう電車。

東北で起きたその地震は、宮崎の電車まで止まらせるほどだった。
実質的な被害はなかったけれど、
あの重なる要因の記憶は強く頭に残っている。

それから大学に進学し、
就活の最終面接を控えた2015年の3月。
4年後の東北に足を運んだ。

なんだか、いまから社会に出るというのに、
日本で起きているのを知らないのはだめだと思った。

 

放射線で立ち入り禁止だった街に入れるようになったばかりのタイミング。
あまりに目を開けられない場所だった。

 

一人の男の子に出会った。

 

お父さんが震災で亡くなってしまったから、
優しくしてほしい。

 

歳は違えど、境遇は同じだった。

震災でなくなること。
癌でなくなること。

自殺、殺人、事故、病気…

人の死は平等に訪れる。

ただ、その死は平等かっていわれたら決してそんなこともない。

生きたいとおもった年月は、
平等になんて与えられていない。

不平等な生だと思う。
生きるということと死ぬということだけが平等。

生きることは死を迎えるよりも難しいともおもう。

成し遂げたいことを人は平等に成し遂げられない。
成し遂げること以前に明日を迎えることのために人は生きていく。

2015年の6月11日、母は死んだ。

父は、母は、
成し遂げたいことを成し遂げただろうか。

 

結局、
僕らは昨日までをどう生きてきたのか。
今日何をしたか、今日何をするのか。
明日何をするのか。

その繰り返しだと思う。


何を残すのか。

ただひたすらに、
もがいてみたいと思う。

生きる意味を、
死ぬ意味を考えていたいと思う。